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恫喝でそう言ったがおそらく実際は減額要求はしていないで、自治体の陳情への同行や予算獲得活動をしなかった可能性が残るからまだ「有罪」にはできない。減額要求をした証拠がない以上、単に陳情への同行や予算獲得活動をしなかったことまで『予算を報復的に削った』という証拠にはならない
野党も同じく陳情には「同行」し「活動」する。与党に交渉力があるのは道理で民主党政権でも全く同様の「陳情誘導政治」を小沢幹事長(当時)が公言しおこなった。
省庁と議員の交渉手法で部署の権限内だから建設事業全体では減らすことは無く、業界からの陳情は通し、全体のバランスはとりつつ、サポートのない自治体の予算を減らした。だから周囲は増える阿吽の呼吸。野党は自らの行動を縛る追及は出来ないし、大手報道も違法では無いのはわかるので攻めきれない、選挙前だとかでないと政権も切るかはわからない。
俺も反自民で政権交代派だけど「はてさ」系の反体制の人たちあまりにも政治音痴で調べて物を言わない。週刊誌に踊らされるのは情けないばかり。「恫喝でそう言ったがおそらく実際は減額要求はしていないで、自治体の陳情への同行や予算獲得活動をしなかった可能性が残るからまだ「有罪」にはできない。不作為は罪ではない。
週刊誌のストーリーに乗って「有罪」を先取りするのは、さすがに情けない。
「中傷動画」や「ナフサ危機」はどうなったの?。国際法でも国内法でも行政でも、感情消費ではなく、論理的・現実的な批判か、実際に政治を動かす有効な論点を持ってほしい。そこがないのが唯々ダメ。
何か夢を見たような気がする。
早起きした俺は歯を磨き、髭を剃り髭剃りをキャリーカートに入れる。今日から旅行ツアーに行くが宿にあるT字カミソリは肌が薄いから血が出るのでいやだから。新幹線駅で集合し、名古屋まで行く。
添乗員は中年の男性でベテランらしく口が立ち、そつなく案内をはじめる、席は三人席の通路側、隣は夫婦らしいが俺は一人客だからそうなるだろう。
コンビニで買っておいたパンとコーヒーを流し込み、スマホのSNSでやり取りをしてから一息をつく、何か大事なものを忘れてきたような気がするが思い出せない。名古屋駅からはバスでの移動になる、西に向かう貸し切りバスだ。
路線バスでは行けない山奥の一軒宿で直通でも6時間はかかる、バスの席は後ろの方だが窓側にはなった、24人のツアーだからそういう感じだろう。
このツアーは季節限定で回数も少なく、この回は今年最後の日程だ。昼食は山菜蕎麦、思ったよりおいしかった。
由緒ある山寺で一服と観光、宿に向かう。
なんでおれがこんなツアーに来たかと言うと大学時代に付き合ってた彼女が民俗学とやらの授業を受けていてそこにこの宿があった集落の事が書いてあったからだ。
特に興味があったわけではないし別れた彼女にも未練はない、なんというか青春の思い出を今更思い出しただけだ。今時でいうと学生時代の記憶への「聖地巡礼」とか言うのかもしれない。」とかどう?こういう文体で良いのかな?
ちょっと脇にそれますがツナの「瓶詰」の先行例はありますか?とチャッピーに聞いたところ
あります。しかも「瓶詰めのツナ」という意味なら、缶詰より前にかなり自然な先行例が考えられます。
ただし、ここは「ツナを瓶に入れた」だけなのか、近代的な意味での加熱殺菌・密封による保存食なのかを分けた方がよいです。かなり古いツナの保存
地中海・スペイン南部では、ツナ(マグロ)を塩と油で大きな容器に保存する伝統が近代以前からありました。
例えばスペインのコンイル(Conil de la Frontera)について、1810年に植物学者アポリネール・フェーが現地を訪れた記録には、捕ったマグロを「油と塩を入れた大きな容器」で保存していたとあります。さらにFAOのツナ産業史では、15世紀のセビリアですでに、マグロを煮た海水と密閉容器を使って保存していたという記録があるとされています。なので、
「ツナを容器に詰めて保存する」という発想そのものは、缶詰以前からある
と言ってよさそうです。ただし「瓶詰めツナ」となるとアペール以後が本命
近代的な瓶詰め保存という意味では、ニコラ・アペールの登場が決定的です。アペールは1790年代末~1800年代初頭に、食品をガラス瓶に詰め、密封して加熱する方法を開発しました。1803年頃にはフランス海軍向けの長期航海試験に食品を送り、その中には魚も含まれていました。
日本製缶協会の歴史資料でも、1804年のアペールの方法を、
ガラスびんに食物を入れ密封し加熱殺菌
する方法として説明しています。1806年にはその瓶詰食品を船に積んで輸送試験まで行っています。そして面白いことに、最初から「缶」だったわけではないんです。
アペールの方法はまさに瓶詰めでした。
その後、1810年前後にピーター・デュランがガラスだけでなく錫板容器を使う方法を特許化し、ブリキ缶へ移っていく。ツナ産業そのものは19世紀後半
一方、「現在の意味でのツナ缶産業」はもっと後です。ヨーロッパの近代的なツナ缶詰産業は1880年代頃から本格化したとする研究があります。特にビスケー湾のビンナガと地中海のクロマグロが対象になりました。
なので、ざっくり時系列にすると、古代~近世
→ マグロを塩・油・加熱などで保存
15世紀頃
→ セビリアで密閉容器を使ったマグロ保存の記録
1800年前後
→ アペールが「瓶+密封+加熱」という近代的保存法を確立
1800年代前半
→ 魚の瓶詰・缶詰産業へ発展
1880年代~
→ 現代的なツナ缶産業が成立
という感じです。「寛容は不寛容に対して不寛容になるべきか?」だと、私は少し論点が圧縮されすぎていると思います。
「寛容」と「不寛容」は何を指すのか。
不寛容とは、単に不愉快な意見なのか、他者の自由を奪う行為なのか。
「不寛容に不寛容になる」とは、批判することなのか、排除することなのか。
そして、その判断を誰が、どの基準で行うのか。さらに、文化・宗教・イデオロギーの違いをどう相対化するのか、という問題もあると思います。
自分の文化や宗教、イデオロギーを基準にして、他者の価値観を「不寛容」と判断していないか。一方で、「文化や宗教の違いだから」という理由で、その内部にいる人への抑圧まで無条件に容認してよいのか。このあたりが混ざっているので、「質問が悪い」というより、一つの二択に圧縮しすぎているのだと思います。
例えば、まず「ここでいう『不寛容』とは何を指していますか?」と確認した方がいいでしょう。単に「自分と異なる意見を認めないこと」なのか、それとも「他人にも同じ価値観を強制すること」なのか、さらに「暴力や脅迫などによって他人の自由を実際に奪うこと」まで含むのかでは、答えが全然変わります。その上で、「他者の自由や権利を侵害する不寛容に対して、社会はどこまでそれを制限してよいのか?」と聞けば、かなり具体的になると思います。
さらに一歩進めるなら、「不寛容を理由に他者を制限すること自体が、新たな不寛容にならないためには、どのような基準が必要か?」まで聞きたいところです。つまり、「寛容は不寛容に対して不寛容になるべきか?」という道徳的な二択より、
「どのような行為を『不寛容』と呼ぶのか」
「それはどこまで制限してよいのか」
「その制限を誰が、どんな基準で決めるのか」
「その基準自体を、文化・宗教・イデオロギーの違いを踏まえてどう相対化するのか」
の段階に分けて聞いた方が、議論が進むと思います。むしろ一番難しいのは最後の問題でしょう。「不寛容を制限する権限を、誰に、どんな基準で与えるのか?」ここを考えないと、「寛容を守るため」という名目で、別の不寛容を正当化することもできてしまいます。
「移民」と言いますが、世界的な人口減少・少子化は都市化・近代化とともに進んできています。
一方、AIによって「中級ホワイトカラー職」や内勤の事務職は必要性が減り、むしろエッセンシャルワーカーやコミュニケーションの価値が上がるとみられます。機械で代替できる仕事は、経済合理性がある限り順次機械化されていくはずです。
また別の部分でいうと、経済を回すには消費者が必要です。生産だけでは成り立ちません。移民や出稼ぎ労働者も、働くと同時に消費者です。人間そのものの価値は下がりません。
日本の対外純資産が大きいので、人口減少=直ちに国家財政・年金の破綻、という単純な話ではありません。ただし、人口減少が進めば、国内の生産能力とサービス供給能力の問題は別途残ります。
チャッピーに聞いてみた
「が、フランス語で「laitue=lait(牛乳)・nutrition(栄養)・enfant(幼児)」という花言葉を記載したフランス側の資料が見つからない。ここが非常に怪しい。
では「牛乳」は何なのか
これはかなり明瞭です。
レタスの学名 Lactuca sativa の Lactuca はラテン語の lac, lactis(乳)に由来し、茎を切ると**乳白色の汁=乳液(lactucarium)**が出ることが古くから知られていました。
19世紀のフランスの植物書にも、レタスは「rafraîchissante(身体を冷やす・爽やかにする)」植物として説明されています。
つまり、
laitue(レタス)
↓
白い乳液
↓
lait(乳・牛乳)という連想自体は非常に古い。
さらに英語の lettuce についても、15世紀の文献に「Letuce of lac... For milk it hath or yeveth abundaunce」という、「レタス=乳」に結びつける説明が残っています。
「つめたい愛情」はもっと確実
こちらは英語圏の花言葉資料で確認できます。
Kate Greenawayの有名な『Language of Flowers』では、
Lettuce — Cold-heartedness
となっています。つまり「冷淡な心」「冷たい愛情」です。
現代の英語圏の花言葉資料でも lettuce = cold-hearted とされています。
したがって、
イギリス=つめたい愛情
はかなりしっかりした系譜があります。
ではフランスの「牛乳・栄養・幼児」は?
ここが謎です。
現在確認できるフランス語資料では、むしろレタスについて、
rafraîchissante(清涼・冷却)
calmante(鎮静)
睡眠を促す
乳液 lactucariumなどの説明は大量に出てきます。
一方、
「Laitue : lait, nutrition, enfant」
という形の「フランスの花言葉」は、今回の検索では見つかりませんでした。
しかも日本語のネット上では、
レタスを切ると白い汁が出る
↓
牛乳
↓
母乳ではなく動物の乳で子供を育てる
↓
冷たい愛情という説明が現在流通しています。
しかし、これはかなり後から作られた説明に見えます。
さらに怪しいのが「栄養」「幼児」
ここは「花言葉」というより、
牛乳 → 栄養 → 子供
という連想を日本側で展開した可能性があります。
実際、2019年にこの問題を追跡した記事も、古い花言葉の本をいくつも調べた結果、「牛乳・栄養」という組み合わせを確認できる資料が見つからず、かなり古い日本の記述までしか遡れていません。
なので現状の系譜は、
古い欧米の「レタス=冷淡」
+
古くからある「Lactuca=乳」「白い乳液」
↓
日本の花言葉資料が「フランスでは牛乳・栄養・幼児」と記述
↓
ネットで「フランスでは牛乳が花言葉」として独立
という可能性がかなり高い。
つまり、「フランス人がレタスに『牛乳・栄養・幼児』という花言葉を付けていた」というところは、まだ裏が取れていません。
これはかなり面白い「逆輸入花言葉」案件かもしれません。
そして、もし元ネタのフランス語文献を突き止めるなら、次は 19世紀~20世紀初頭のフランスの「langage des fleurs(花言葉)」辞典を片っ端から当たるのが正攻法です。ここまで遡れば、春山行夫が何を翻訳・参照したのかまで辿れる可能性があります。」