id:anonysheep
話を聞いている感じですと IQ テストで加算されるものという印象を受けますね。回答ありがとうございます。
余談ですが IQ テストは後天的学習の成果をチェックする試験であるため、試験項目は訓練により養うことができます
地頭の話に言及しますが、一般的には「(世間ではそう思われてないかもしれないけど)私はこの人は頭がいいと思う」という文脈で 地頭がよい という表現が使われている気がします。※他のパターンでは明らかに頭がいい人に対して「地力が違う」というニュアンスで用いられるケースでしょうか。これら場合は実際の頭の良し悪しというよりは 個人の感想 という意味に限定されると考えていますが如何でしょう。皆様は「地頭が良い」という言葉をどのようなタイミングで利用しますでしょうか。参考までに各々で好き勝手に発言して頂けますと小羊が喜びます。よろしくお願いします。🙇♂️
情報の知覚と意思決定を伴うボードゲーム、さらに「指の精密な身体操作」を伴うテレビゲームやラジコン(ドローン)操縦、さらにはキーボード操作を要求されるFPSなども、認知機能の向上に資するのではないだろうか。
ずっと椅子に座りっぱなしで指先だけピコピコって老化まっしぐら(座りっぱなしで何もしないの次くらい)ですよ。
認知能力の維持や頭の良し悪しという観点では、継続的に ①全身の筋肉を使う ②五感をフル活用する ③発話する べきです。使わない機能からオミットしていくのは環境に適用する生き物として道理ですからね。
知性が優れている心算であっても、実態は知性以外が平均より低いだけという状況は普通にあり得る。特にそういう状況の人は知性だけ飛び出ているという状況に固執しがち。
「社会にコミットする」 ことが平均的な人にとっての 「頭がいい」 状態
たしかにTPOに応じた振る舞いをしている人はスマートに見えますが、「社会不適合な天才」みたいな類型もあるので、それが「頭がいい」の一般的な定義として使えるかは議論がありそうです。
この件だけ補足コメントです。
「何をもって『頭がいい』とするのか」を決めているのは、僕たち普通の人側にある評価基準です。我々が認識・評価できる能力には限界があり、「頭がいい」という評価も、その限界の内側で成立するものに過ぎません。
本文で「社会にコミットする」と表現したのは、TPO という意味ではなく、その能力が「社会の評価体系で受け入れられる範囲にある」という意味で用いました。
コメントは以上です。
ちょっと話を伸ばしてみますか。
id:Re-KAm さんの
過去の記憶というのは鮮明でなく、ぼんやりとしているから、ローファイな媒体とマッチするという発言はかなり本質をついている印象があります。結局 「エモい」 とは受け取る側の内面の問題ですよね。検証として以下のテストを提案します。
- どの程度まで解像度を上げるとエモく感じなくなるのか
- どの程度まで解像度を下げるとエモく感じはじめるのか
例えば 「子供の頃のカラー写真を 4K 化していくと、懐かしさよりも新鮮さのほうが勝っていくのではないか」、「最近の写真でも解像度を落としていくことでエモさを感じるようになるのではないか」 という予測が考えられます。
検証可能そうな仮説から順番に脈アリ脈ナシを切り分けていくことがよいアプローチかなと。
「秋葉原UDX」商業ゾーン 12/10(木)リニューアルオープン
27店舗を刷新し多彩な飲食店が集まる「UDX DINING&SHOP」誕生https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000185.000134094.html
羊の魂だった SHOGUN バーガーは帰ってこないみたいですメェェ...昨日寝ながら考えていたのですが
会話にそろばん勘定を持ち込むというのは、好意的に解釈すると 「言語コミュニケーションに重きを置いている」 姿勢ということですよね。発言に真面目というか真摯な態度で臨んでいると。僕なんかは口で言う言葉とは真逆の態度を示しながら会話することがよくあるので、そういう意味では自分は随分不誠実な人間だなと思いました。
とはいえ、ですよ。‥‥たかだか会話ですよ? ちょっと重すぎやしませんかという気持ちは少なからずあります。僕の私見ですが約十割の日本人が 「自分の言いたいことを適切に表現できていないし」「相手の言っている内容を言葉通りに理解できていない」 と思っています。
コミュニケーションの手段って言葉以外にもいくらでもあるじゃないですか。そこを会話に全振りしてしまう理由にはどのようなものがあるのでしょうか。他に手段が見当たらないからでしょうか。それともその競技に全力で挑みたいからなのでしょうか。黙ってばかりいることの利点が何一つ思いつきません。情報は発信した者の一方得だと思っています。誤解されることを恐れて発信を控えていると誤解される(または適切に評価されてしまう?)一方のように感じてしまいますが、この認識に齟齬はありますでしょうか。
野次はバンバン投げ込んできてください。僕が全員ぶち羊してやんよオラー
一つの可能性を提示します。
例えばですが僕の親父なんかは白黒写真の世代なんですね。お察しの通りカラー写真はダメだと、やはり白黒じゃねえとあのエモさは出てこないと言うのです。ですが僕の感覚からすると白黒写真は何もエモくないです。
同様に今の若者が所属しているコミュニティには既に「フィルム写真はエモい」と言う先住民族の価値観が根付いている状態なのではないでしょうか。若者はそこに乗っかり「エモい」と言って遊んでいるにすぎない可能性があります。
ここで注目するべきことは若者がいうエモい(アツい)と我々おじさんが語るエモい(懐かしい)は果たして同一のものを指しているのかというところです。
外野にいる僕の目からはフィルム写真をエモいと感じていません。
フィルム写真がエモいというのはそのコミュニティでの「通貨」になっている説に一票です。
※このコメントは叩き台なので、多少の決めつけが過ぎる点は予めご了承ください
スレッドの進め方が分からず戸惑っている人向けに発言しますと、このスレでは「会話で積極的に発言できない or しない人の内部処理を考察する」方向で進行していきたいと考えています。
お察しの通り僕は余計なことを無駄に話しまくってしまうタイプの人間なので(こいつ何も喋らんな‥‥)(まあいいか! 一生俺のターンってことだな!ガハハ!!)くらいにしか思っていないのですが、相手の心理状態は若干気になるところではあります。※本人にヒアリングしても大した内容が落ちてこないんだよなあ(愚痴)外野からああでもないこうでもないと無責任な考察を語るもよし、ご本人の考えを自白して頂くもよしで進めていけたらなと考えています。
雑談程度の会話であっても相手に情報を開示することに躊躇があります。友達や同僚と会話する際にどういうことを皆様は意識しているのでしょうか。
具体的にいうと(こんなこと言っても仕方がないだろうな‥‥)とか(今ここで言わないといけないことかな‥‥)などと考えているうちに閉じこもった貝みたいな人格が形成されてしまいました。
来るべき保育園デビューに向けてこんなことではいけないと奮起して人格改造に勤しんでいる段階です。最近は「おともだちと仲良くする」というのも、ただ一緒に遊べばいいという話ではなく、相手の気持ちや都合も考えながら適切な距離感を保つことが重要なのではないかと思い始めています。
入園前の身ではありますが、今からでも間に合うめちゃモテ会話術などありましたらご教授頂けますと幸いです。ご回答のほど宜しくお願いします🙇♀️🙇♀️🙇🏽♂️
ちょっとだけ興味あるので、最初に叩き台を書いておきます。
豆腐(漢字)の由来について知りたい。- レファレンス共同データベース
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000031279『大日本百科辞典 13』に「豆腐という漢字が当てられたのは平安時代から、中国では豆腐が豆を発酵させたもの、納豆が豆を形に治めたものだったが伝わる際に名称が入れ替わったのではないかと言われる。」とあり。
とあるようです。
大日本百科事典の 13 巻が出版されたのは 1970年6月15日 のようですので、少なくともこの原稿を書いている時点ではそういう説を唱えている勢力が(ある程度十分に)いたものと考えられる。