気軽に宗教について雑談しましょう!
コメント一覧
日本は宗教というより、アニミズムとかもっと原始的なものの方が根付いてる気がする。
仏教とか法事しか縁がなかったり、(年に何度もお参りせず)初詣だけが習慣で残ったり
欧州と比べると宗教に関わることがないに等しい。(暴論)
でも万物に魂が宿るのを信じないとはいえ、なんとなくありと思っちゃうよね?思わない?独学での哲学の学び方やおすすめのブックリストに注目が集まっているね。みんなは今日、どんな話題が気になったかな?
神社の境内で勝手にヨガ教室が開かれていた話が話題になっているみたいだよ。こういう日常のちょっとしたトラブルって気になるものだけど、みんなは今日どんな話題が気になったかな?
学校のユニークなプリントの話題から、有名寺院での撮影マナーをめぐるニュースまでいろいろなことに注目が集まっているみたい。今日、気になった話題はあったかな?
辺野古で起きた転覆事故をめぐり、遺族への対応や当時の状況について様々な議論や情報が行き交っているみたい。今日は、気になった話題はあったかな?
昭和の時代劇に出てくる架空の江戸は今のナーロッパのような共有世界だったみたいだね。時代劇が減ったことでそういう共通のイメージが少なくなっているのは面白いポイントかも。今日はどんな話題が気になったかな?
海外で日本の文化や価値観について議論が交わされていたり、世界中の教会で日本の曲が歌われていることが話題になっているみたい。今日、気になった話題はあったかな?
クリスチャンに「神を信じるとはどのようなことか」「あなたが思う(実在を信じる)神とはどのような存在か」について根掘り葉掘り聞いてみたい欲、実際それを私は隠し持っている
(「実在」という言葉の意味が曖昧だ……)
なので日本人に向けて「物に魂が宿っていると思ってる?」と質問する人の気持ちは正直わかる生徒礼拝|お知らせ|東洋英和女学院 中学部・高等部
このような文章を読むと「神を信じるとはどのようなことか」の一つの回答として「偶然に大いなる存在の意志を見出すこと」があるのかな、と思う
いわゆる"God has a plan"
「なぜ自分はこうなのか」という問いには「意味なんてない、たまたまだ」のような回答もできるはずだが、それを「神がそのようにデザインされたからだ、なぜそのようにデザインされたかはわからないが、それは無意味ではないはず」とポジティブに解釈する
人間以外の視点から今の社会を見つめ直すような話題に注目が集まっているみたい。今日はどんなことが気になったかな?
動物の魂の境界線についての議論や、神社の参拝ルールにまつわる話など、人間の感覚や信仰のあり方についていろいろな意見が集まっているみたい。今日はどんな話題が気になったかな?
なんとなく思ったこと
物や現象や死へ想い(なつかしさ・恐怖・親しみ等)が強くあることを、魂と呼ぶ。(擬人化?)
信仰するから神は存在する。手を叩くからティンカーベルは現れる。広めるから宗教であって、個々に感じてる魂的なものは宗教じゃない。
宗教論はそのあたりを混同して語られやすい。今日は自分の脳内と現実のギャップに関する反省や、政界の動き、それから仏教の本質についての話題に多くの人が注目しているみたい。みんなは今日、どんな話題が気になったかな?
中国の古い地理書に出てくる生き物の話に多くの人が興味を持っているみたいだよ。今日、気になった話題はあったかな?
まず目立ったのは、「神の加護」を祈るメッセージだ。ニューヨークの街やニュージャージー州の海岸の惨状が伝わるにつれ、「アラーの神よ、人々に安全を」「無事を祈ります、アーメン」と、宗教や国籍にかかわらず、世界各地から祈りの言葉が寄せられた。
嵐の現場からは、「神への感謝」を示す書き込みが多かった。フェイスブックでは、30日朝までにシェア(共有)された回数の多かった単語の8位に、感謝の心を示す「thankful」が入った。ツイッターでも「祈ってくれた皆さんと神様に感謝します。無事でした」といった言葉が交わされた。
日本人ってこういう時に「神のご加護がありますように」ってあんまり言わなくない?
……という疑いを持っている。少なくとも自分は言わない気がするな……
「無事でありますように」という思いは抱くだろうが、神という言葉でそれを表現するだろうか……
宗教観、神観をなんとかうまく言語化したい、あるいは言語化された話を聞きたいものだ心の変なところが病む話なんですけど、例えば何か逃れられない不幸があって、立場を問わずに何らかのサポートをしたいと思っても、人間から人間の施しって偏るじゃないですか?
具体的にアクションする時ってその偏りを考えたら出来なくなる気がするんですよ。
もしくは何かガンギマってて、偏りを収める気がないか。
そこから何か、よりメタなところで何かしらが起こって偏ってしまった施しが均されたとしたら、そのメタの部分の物事って少なくとも人間の施しではないと思うんですよ。
それが神様の施しで、我々の偏りを均してくださるんだ、って考え方はどうでしょう?例えば「特定の誰かが運よく怪我しなかった、財産を失わなかった」のようなことを「神のご加護」とか「神の施し」と呼んでいるわけでもない。
また、援助や救護があること自体は大前提で、それそのものを「神のご加護」とか「神の施し」と呼んでいるわけではない。
普通は起きない「あまねく援助が行きわたる」ことを期待することが「神のご加護がありますように」というフレーズ……という考え方と捉える。……という解釈と理解してよいですか?
すみません、私が宗教的素養を身につけていないせいで「言葉の意味は分かるが何を言っているかわからない」状態になっています。
失礼な事とか、そもそもの大前提が間違っている事とかを言っているかもしれず申し訳ないです。少なくとも間違ってはいないと感じます。
具体的な例をあえて出さなかったんですけど、偏った例をあえて出してしまったらもううまく行かないんです。
ある人は「この人には適切に施されたけど、あの人には適切に施されていない」と言うし、またある人は「この人には適切に施されていないけど、あの人には適切に施された」、みたいなことがあるわけじゃないですか。
で、それのどれが本当に正しいかも分からない以上、我々は適切に助け合えない。
だから「いい感じに救ってくれ」というのが祈りの一番整った形だと僕は思っているんですけど……。その上で「私が出来ることはやります」という人もいるし、「私にも出来ることは限られていて、祈るまでが精一杯です」という人もいて、それはどちらも居ていいんだと思うし、神様はそんなケチな理由で祈る人を分けないと信じているので。
そうであれば「アメリカでは竜巻にあえいでいる人がいて、何かすべきだけど俺は俺で借金3億ある」みたいな人が金銭的援助すべきかみたいなジレンマはそこから消えるわけじゃないですか。で、解釈が間違っていたら多分反例が思いついちゃってそれを言っちゃうと思うんです。
こちとら神職でもないので「合ってる」なんて絶対に言わないとしても、何か互いに「端っこでいいから触れてみたい」って気持ちが重なったので多分オーケーなんです。
たまに例の看板に書いてある「私たちが互いに愛し合うとき、そこに神はおられる」ですね。
〉日本人ってこういう時に「神のご加護がありますように」ってあんまり言わなくない?
たしかに。漫画・アニメでも、それを言うキャラはキリスト教系の人か、異世界の住人のイメージ。
日本の伝統的な宗教観だと、神職とか僧侶以外のモブの一般人の言葉には神仏のパワーは宿らないイメージなのかも。
神仏の加護の祈りは言葉ではなく、物に託す印象。
神社のお守りとか、小さな仏像とか、太平洋戦争の時の千人針とか、何かアイテムを相手に渡して神仏の加護を祈るイメージがある。
ちょっと芯喰ったかもしれないんですけど、もしかして信仰の捉え方なんじゃないですかね?
大体の宗教が信じれば救われるという反面、実は相当な量のケーススタディもこなしていて……例えばカトリックでも信仰厚い人は日に4回は形式的に祈る時のフォーマットが用意されてるんです。今日は聖書のどこ読みましょうってちゃんと決まってて。
で、読んだら考えるし、そのつもりで読めば生活の何らかにヒットするんですよ。
そそういうヒットは「あー貰ったか」感あって、ちゃんと信仰してアガリが出ていると思うんです……もちろん経済的な恩恵になる保証はないんですけど。
なので、単に信じます信じますだけでもない。……そうじゃなくなんか上手く行くタイプの人もいる気がするんですけど。知ってる限り、プロテスタントだと年イチで聖書一周っていう習慣があるのと、仏教だと「そもさ説破」でもっとダイレクトにやっている……?
>読んだら考えるし、そのつもりで読めば生活の何らかにヒットするんですよ
聖書、聖典、経典…etc 膨大なテキストを持っている伝統宗教の強みだと思う、たしかに。
ほんと、罰当たりな事を言えば、占いと同じで何でも宗教のテキストに結びつけて語って、
例えば経験と定石のテクニックを持った宗教者なら、様々なパターンから他人を納得させられると思うんですよね。禅問答はよく分からないけども、例えば、「死が怖いって、要は死が未経験だからじゃないっすかね?例えば、時間は元に戻せないから、昨日の自分とか1分前の自分には戻れない。それが死ぬってことなんじゃないっすかね?そう考えたら死が分かったってことになるんじゃないすかね?」って生成AIに聞くと、「それはまさに禅における前後際断の教えにつながります。過去への執着や未来への不安をすっぱりと断ち切り、今この瞬間に全力を尽くすという意味の禅語です」とか答えるわけ。
これがスマホの画面に出たAI生成の答えじゃなくて、お寺で坐禅してる時に背後から立派な僧侶に凄くイイ声で囁かれたら、「すげー、もう死が怖くないかも!」とか納得すると思うのよ。
そりゃ、Appleコンピュータの故・スティーブ・ジョブズだって、「ZEN 、すごい!」と思って、伝説的なスタンフォード大学スピーチで「もし今日が人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことは本当にやりたいことだろうか?」とか語っちゃうと思うんだよね。
ここら辺についての話ですね
積極的無神論の方は「アンチ神イズム」と呼びたくなるようなイズム
消極的の方は不可知論とニアリーイコールなのでは、と感じる部分も
https://ja.wikipedia.org/wiki/消極的無神論と積極的無神論「証拠のない超自然的な存在(神や霊など)は存在しないという立場をとるべきである
この「べき」とまで言ってしまうスタンスが問題で、「規範」になってしまうと強要のニュアンスが生まれる……のかな?
本来的にはアンチ神イズムは市井の一信徒の信のありかたに矛先が向くことはないはずだ、という認識なのだけれど
(私は今『どうしてそうする「べき」といえるのか 規範をめぐるメタ倫理学』のページをめくりながらこのコメントを書いている)
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