最近、バスタオルって実は一般的なサイズの半分くらいで十分ではないかと気づきました。
そこでミニマリストの皆さんに質問です。
このように世間一般の「普通」を疑うことで何かをやめたり断捨離できたことはありますか?
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「実は冷蔵庫って要らんのちゃう?」と気づいてコンセントを抜いた日から十数年、基本的に自炊を続けながら冷蔵庫なしの生活をやってたな。結婚を機に冷蔵庫のある生活に戻ってそこからは20年以上もやめられずに使い続けてるけど、実は家電の大部分はなくてもどうにかなる。どうにもならないのがスマホだったりするのが皮肉だけど
私も手洗いを10年以上続けましたね。
最初はコインランドリーに行ってたんですよ。ところが、ある雨の夜、コインランドリーの帰りにうっかり洗ったばかりの洗濯物を地面に落としてしまったんですね。引き返してもう1回コインランドリーに百円(当時の値段)入れるのも腹立たたしかったので、洗い桶でジャブジャブ濯いだわけです。すると、驚いたことに、洗剤がぜんぜん落ちてないんです。なんだ、全自動洗濯機の濯ぎ工程って、こんなに甘いんだと驚きました。
それから気をつけてみると、たしかにコインランドリーで洗った洗濯物には洗剤の匂いが残ってる。ぜんぜんキレイになってない(だから柔軟剤とかで誤魔化してる)ことに、改めて気づいたわけです。それで、「あんな信用できんもん、誰が使うもんか」と、手洗いになりました。結婚したときにその話をしたら、嫁さんも「洗濯機の濯ぎは甘い。だから、ちゃんとそこは2回濯ぎをマニュアルで選択できる機種を買わないといけない」と、意気投合して、以後は洗濯機です。
ミニマリストでも何でもないけど、
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シンクの三角コーナー
ない方がシンクを掃除しやすいし、三角コーナー自体のカビやぬめりに怯えることもない。排水口のゴミ受けも、最初からついているプラスチック製の深いものではなく、銅製などの浅いものにすると楽。 -
トイレの生理用品用ゴミ箱
トイレを出たらすぐ洗面所や更衣室という物件が多いので、そこのゴミ箱に捨てることにした。使用後のナプキンも、きちんとトイペでくるめば特に気にならない。(ゴミ袋は小まめに交換する)
排水口の銅の導入、最近取り入れたところです。微量金属作用による抗菌効果について調べていたんですが、上流で根本原因を解決し、無限ループの不毛な作業を断ち切ることにつながる(『上流思考』)と思い、先出しで買ってはいました。
買うとき悩みました。こまめな手入れを習慣化できているか、自分はそれを使うに価する人間だろうか。今の等身大の自分にとって本当に良いものなのだろうか?新品を下ろして使うまで、機が熟すのを待ちました。相性の見極めには時間を要します。現状回せているならいいかというと、作業者が免疫力が低下していたり、手や指を怪我していたり(中高年の女性に多いメノポハンドも考慮)した場合に、じゃあ、誰が代わりにやってくれるの?と。
何かと忙しいから後回しになりがちなライフスタイルでは、ためこんだ強力洗剤で対処する方法も場合によっては便利です。ぬめりやカビなど酷く汚れてから洗うことへの心理的抵抗感、可能な限り汚れを落としきろうとすれば手や腕も疲れるので億劫感も大きいのは日々やっていてわかります。作業そのものが楽になれば負担感もいくらかやわらぎますし、心も折れにくく、身体も消耗しにくくなります。
安価な便利グッズがたくさん売られていて、使い捨てが当たり前の世の中で育ちました。
壊れたら買い替え、悪くなったら部品交換すればいい。大量生産、大量輸送、大量流通、大量消費。
その行く末には?
大量浪費、大量廃棄、大量焼却が待っている。火葬場を見学して、焼却炉についてロストル式というのがあるのを知り、さもありなんと思いました。
物が多くて、玉石混淆。形見になるような大事なものもどうでもいいものも。被災したら瓦礫の山となって全部ゴミになる。被災しなくても長らく死蔵して埃を被っていたら、そもそもあるのかすら把握できてなくて、誰も活用できなくなっててロストテクノロジーになる。ゴミの山から使えるもの、金目のものを見分けて、付加価値をつけて取引するビジネスが繁栄している現状を見て思うのは、ゴミになる前に良好な形で引き継げるサイクルが細る中でピーチが市場から抜ければレモンの市場だなということです。生産終了、廃番でパーツが売ってないから直せないという状況に直面する機会が増えました。
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ミニマリストではないけど、年賀状はやめました。
あと、肌が弱いこともあって、シャンプーやリンスはやめて、頭も含めた全身を無添加石鹸で洗うことにしました。「全身丸洗い」感があって良いです。
あとは、かつて「スニーカーのように走れる革靴」というのを買ったのだけど、ふと思い立って、スーツの時も革靴の代わりに黒いスニーカーを履くことにしました。(何かの式典の時には「走れる革靴」を履く)今のところ誰にも何も言われない。おれはミニマリストではありませんが、バスタオルは要らないと思っています。
毎度使い古した普通のタオル一枚で拭いています。
「体を拭くのにバスタオルが必要」という常識が世間にあるという認識がありません。
学校体育で習う気を付けのポーズみたいな姿勢の習慣って却って身体に良くないんじゃないか?って疑った。良い姿勢っていつ誰がどういう目的で決めたんだろう?
学校の掃除の時間で習う掃除のやり方って却って汚れをばらまいたり、塗り広げて身体に良くないんじゃないか?って疑った。
学校の学年暦や時間割、時間意識に対する習慣って季節変化と身体の反応や寿命についてじっくり観察する余裕を奪っているんじゃないか?って疑った。
自分の人生から学校との関わりを断捨離した。掃除の話で思い出したのが中学のときの理科教師が学校の常識を逸脱していました。
水で濡らした新聞紙をちぎって床にばら撒き、それを生徒にホウキで掃かせました。
とても理にかなっていたし、「俺は楽をするなとは言わん。どんどん楽できる方法を考えろ」という教えが確実にその後の道しるべとなりました。昔ながらの風通しのいい日当たりもほどよい木造住宅の環境を前提としてであれば濡れた新聞紙や茶殻を使っての掃除が理にかなっているんだろうと想像できます。
前提となる環境が違ったらどうでしょう?やっぱそこは実験ですね。
鉄筋コンクリート造りの学校はなんとなく冷えるような記憶があるので濡れると乾きにくいかも?高気密高断熱住宅だとカビやすいんじゃないか?みたいな予想をしながら。理科の先生って変わり者って印象ですが、科学する姿を見せてくれていたんだと思います。
伝統や慣習、権威に縋りつくことがそれまでとは違う新しい局面では全く役立たない場合(却って思い込みや錯覚が害になることもある)、みんながやっているからとかそれが当たり前だからというのを一旦脇に置いてみて、自ら観察・実験して経験を踏まえて考えてみる。そうやって科学は進歩するもの、みたいな話は科学思想史のテーマで本を読んでいると出てきましたから。どんどん楽できる方法を考えろ
手書きで写して書痙になるような努力の仕方を避けて活版印刷術にシフトするというグーテンベルク的な努力の仕方ですね。
幸田露伴の雑巾絞りや雑巾がけのしつけ方は読んでおきたいと思いますね。
・炊飯器すてた→ 元々持ってた土鍋で炊きます。
・バスタオル→ フェイスタオル2枚で十分っす。
・シンクのゴミ箱→ 素材クズのうちに冷凍庫と野菜室の定位置へ
・沐浴→ シャワー(よっぽどの時以外バスタブに湯は張らない)
・エ⚪︎リズム、ヒー⚪︎テック→ 天然繊維の肌着へ
・香り付き洗濯洗剤→ 無印の香りのない洗濯洗剤・アルコール&炭酸飲料やめた
・チョコレート、クッキー、アイス、菓子パンやめた逆に、復活したもの こたつ ずっと前にすてたけど、ここ数年のあまりの寒さに復活
化学繊維の機能性肌着を着るとなぜか肌(特に背中)が荒れるので、私もやめました。
体質にさえ合えば、いいものだとは思うのですが。
自分には、ユニクロもモンベルもちょっと合わなかった。無印良品だと、綿100%のあったかインナーが出てますよね。
速乾のものでオススメがあれば、もしよければ教えていただければ…
上のかたとは逆の話でふと思いつきました。
私はミニマリストではないですが、幼い頃から親に「下着は綿100%に限る」としつけられてきましたが、自転車に乗るようになってから化学繊維の肌着を買うようになり、自転車に乗ってない(運動してない)ときでも身につけるようになりました。
湿度が高いとき、いい感じに汗を蒸発させてくれるのでふだんから快適すぎてもう手放せません。
お値段がちょっとお高いことだけが玉に瑕ですかね……。
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