多数決は数多い方が勝ち、という単純なものではない
投票前に時間の許す限り
・どんな案があるか
・その案は人、金、時間などのリソースをどれほど使うか
・案の利点欠点になにがあるか
が話し合われてこそ、はじめて多数決といえる
では実際にはどうだろうか?
多数決は数多い方が勝ち、という単純なものではない
投票前に時間の許す限り
・どんな案があるか
・その案は人、金、時間などのリソースをどれほど使うか
・案の利点欠点になにがあるか
が話し合われてこそ、はじめて多数決といえる
では実際にはどうだろうか?
40代ですが子どもの頃から当時の大人は「ここはひとつ民主主義に則り多数決で」という流れを当たり前のように使っていた記憶があります。
民主主義=多数決 が幼心に植え付けられ、決を採る前段の議論が疎かだったなと今になって思います。
議論の性質によって多数決という手段をどう使うかということと、当事者間の力関係を考慮した上でその手段を使うことに納得感があるか、が大事だと思います。
例えばこのあと何食べる?という議論で、自分は他人に合わせられるな、というときの多数決であれば話し合いもそこそこで納得感がある。
逆に合意の上で決を採ったのに後から「やっぱりこっちがよかった」と言ってくる人、いますよね。
空気を察して言い出せなかった、とかで。
そういう人がいる場合、本当にいいの?と多数決の前に念押しが必要になったりします。
よってそのコミュニティの日頃からの信頼関係もまた大事だと思います。
個人的にはここで「言わない奴が悪いんだよ」的な発想が一番怖いです。
多数決が残念か、と言われると、その場に適した使い方であれば便利なツール。
同調圧力や理解不足の人の数を取り込みたいといった作為的な手段になってしまえば危険なツールという認識です。
多数決は数だよ。そういう定義。
それでいいのかという議論はありうる。
まあスレ主はそういう話をしたいんだろうとは思うけど。
そのへんに関して言えば
話し合いに誠意が有ったかどうかなんて
どうにでも解釈できるから、個人的には信用してない。
皆が多数派になれるように棲み分けりゃいいんだけどね。
全裸で暮らしたい奴は、そういう奴ばかりの所に住んで
それが嫌な奴は、それが嫌な奴ばかりの所に住む。
そうなった後、解決できずに残る問題は
相続による格差、住んでる土地の特性による格差だと思って立てたのが
富の偏りに関する思考実験 - 世の中 - はてなパークス
なんだけど、あんまり伸びてない。
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