トロッコ問題において、しかし、現実社会でほとんどの人は、線路の上を歩かされて、トロッコが自分の上を通りすぎないように祈るしかできない状態に置かれていると思うんですよ。
じゃあ、その時、あなたはどのような選択をするべきだと思いますか?
トロッコ問題において、しかし、現実社会でほとんどの人は、線路の上を歩かされて、トロッコが自分の上を通りすぎないように祈るしかできない状態に置かれていると思うんですよ。
じゃあ、その時、あなたはどのような選択をするべきだと思いますか?
これは直レスしていいのかわからなかったんですけど一番!いかせてもらいます。
結論からいうと選択の余地がない場所での選択といえばもう色即是空って唱えるしかない……
最近よく思いだすのは、米国の大学だかの授業。
壺には大きな石から詰めていかないといけない、小さい石から先に詰め始めると、気づいたときには「余裕で入るはずだった大きな石」も詰めることができなくなっている。という話。
でもIT社会って全部小さな石のまま土石流で流れてくるんですよね。
まあ異常気象が多いのは事実なんで、とりあえずchromeの既定の検索エンジンを以下の設定にしました。AI使うのなんて巨大フライパンにちびっとずつ燃料を足してるようなものですよ。
「このままだと5人が犠牲となりますが、あなただけが関与の余地があり
1人だけの犠牲にすることができます。」
単に数の問題なら5人を助けるのが正しいように思えるが、条件が加わりどんな人なのか。
あるいは傍観者なら関係のない5人の犠牲だけだが、関与すればあなたが1人を手にかける。
といった具合に、条件によって答えが変わる選択を迫られるという話。
世論は、どこまでなら許容するかを問われている
自動運転のプログラムや法律にも関係し、会社や国だけの問題でなく世論も大きく影響する。
日本は「犠牲が0人にならないなら変えない(それで犠牲が5人のままでも誰も責任を取らない)」という風潮は変わりつつあるのだろうか?
関係ないけど、ゲームミュージックのサイトロン会員限定冊子に「ろうじんとこどもがとびだして来たら、ばいしょうきんの低い方にハンドルをきりましょう」なんてあったな、原稿の書き方講座で漢字とかなの割り合いをどうするかの例文に。
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