映画『海辺の一日』
エドワード・ヤン監督の1983年公開の台湾映画。現在4Kデジタルリマスター版が全国公開されている。
男は仕事一筋、女は男の帰りを黙って待ち家庭を守るという価値観が主流の1980年代の台湾の都市において、男女の20代から30代にかけての思い通りにいかない人生を擬似体験させてくれる物語。
十数年ぶりに再会した女友達が半生を語り、鑑賞者が追体験する構造。謎解きっぽさもありながら、謎解きは重要ではなく人生の醍醐味のように演出され位置付けられている。
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1980年代の日本の男性は3K(高学歴、高収入、高身長)が良いとされ、日本のトレンディドラマでは一日中頭の中は仕事で一杯の熱血サラリーマン男性が登場し、ヒロイン役の女性は夏のビーチでハイレグビキニを着て遊び上手になりながら、そんな熱血高収入男性との結婚をゴールインとし、おしゃれな都会のマンションで暮らす夢を見る物語が持て囃されていた。女性たちは3Kに近い男性と結婚して、悠々自適な専業主婦生活を夢見ていた時代である。
その時代、台湾の都市部でも同様だったようで、そういう時代背景を踏まえると「何で妻は働かないのか?」「何で夫は家庭優先ではなく仕事優先なのか?」といった変な引っかかりなく鑑賞できるだろう。現代のワークライフバランスではなく、男はワーク一辺倒、女はライフ一辺倒で夫婦を営む価値観だったのである。
本作は、大学生時代の結婚の夢が破れ、母国を逃れるように留学しピアニストとして帰国した女性の蔚菁(ウェイチン)の目を通して物語が始まる。人生の目標である結婚の夢を成し得なかった呪縛の目を通して、結婚の夢を成し得えた成功者と見做していた女友達・佳莉(ジャーリィ)の人生を追体験する構成になっている。物語のスタート時点で蔚菁の「私は人生の負け犬」という拗ねた恨み節のフィルターが劇場スクリーンに薄らと掛かっている。
蔚菁はピアニストゆえか1970年代風のレトロなワンピースを見に纏い、黒髪を後ろで束ねているクラシカルな見た目。
一方、訪ねてきた佳莉は1980年代の肩パッド入りの白いスーツを着こなし、西洋で流行っていた短髪な当時最先端のカッコいい女性の身なりをしている。鑑賞中はその二人の身なりの対比に気を留めていなかったが、思い返せば身なりの対比ですでに二人の人生の歩みに関する演出がスタートしていたのである。
佳莉は実家でも恋愛でも受け身で生きてきており、流れで人生を歩んできた。
一方、学生時代からの付き合いで夫となる徳偉(ドゥウェイ)も幼馴染のアジェイに付いていって受け身でアジェイが経営する会社の子会社の社長になる。しかも徳偉は無口でほとんど何も語らない。
結局、佳莉も徳偉も自我が極めて淡白で受け身的に時代の流れに流されるままに生きてきて、それなりに成功した裕福な暮らしをしている。エドワード・ヤン監督は当時の時代感を描くために敢えて中身の薄いように見える空虚な人物を夫婦に据えたのだろう。
佳莉は兄が父の言いなりに結婚した家父長制の色濃い実家を飛び出して台湾の都市に駆け落ちする。佳莉と徳偉の夫婦は1980年代の新しい価値観の都市部のなかで、ポリシーも何も持たずに流されるように生活する。その夫婦の営みを通して1980年代の新しい価値観の都市部の生活やその問題を描き出すという演出だろう。
濱口竜介監督の『ドライブマイカー』でもそうだったが、敢えて中身の薄い人物を主人公に据えることで、観客が主人公に成り代わってスクリーンのなかの世界を擬似体験できるように演出されている。
佳莉は都市部の生活において夫婦としての生活や人生に課題を感じながらもそれがどうして起きているのかわからないし、どう対処していいのかもわからない。親しい女友達や夫の浮気相手の女性は二人とも確固たる価値観やポリシーを持って生きているように佳莉には見えて、それが自分にないことに虚しさを感じている。本作では佳莉のその打ちひしがれた感情が徹底的に描かれる。演じているシルヴィア・チャンによる演技が素晴らしく語らずとも佳莉の表情で多くが物語られる。
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本作はある程度人生経験を積んでいないと太刀打ちできない作品だと思う。社会人として経済的にも精神的にも親から離れて自分で自分の人生を引き受けて生きていると、本作で描かれる佳莉と徳偉による夫婦のすれ違いや葛藤なんかが味わい深く感じられることだろう。
本作は人生がうまくいかない様子が描かれてはいるが、それでも生きている限り人生は続いていくし、成長して乗り越えることができることを示唆している。人間は大人になっても困難を乗り越えて成長していけるのだ。
そのことが体の奥深くまで伝わってきて人間讃歌の物語だと思った。
自分は親のサポートがないと生きていけないかもしれない、夫のサポートがないと生きていけないかもしれない…。佳莉はそんな心許ない心持ちで海辺を眺めていた自分に訣別する。つまり佳莉は自分の力で人生を生きていくために腹を括ったのだ。そんな海辺の一日。
そして現在。留学してとっくに腹を括って自分一人で人生を生きている蔚菁は、拗ねた気持ちはとっくに失せて、にこにこするだけの妹気質で頼りなかった佳莉が彼女なりに成長し乗り越えた姿を感慨深く見つめ、人生を思う。
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昭和の日本に近しい人生観のリアリティが感じられて、かつ人生の素晴らしさが物語られていて、僕は過去一番といっていいくらい感銘を受けた気がする。決して愉快な物語ではないし、苛立ちを覚えてもおかしくない対立が描かれてもいたけれど、不快感が一切なく、染み入るように心地よく鑑賞できた。魔法のような2時間46分であった
本作は台湾語の字幕上映だったが、佳莉が父と母を呼ぶ時は「オトウサン」「カァチャン」と発音していた。医院を営む実家の建物は日本家屋であったが、日本の統治の名残の残る家庭という設定ゆえだろうか。それとも台湾では父、母のことを日本と同様にら、「トウサン」「カァチャン」などと呼称するのだろうか。
